2009.5.23
「朝日新聞」(09年5月13日朝刊、東京本社13版、25面)記事
に対する「遺憾表明」
に対する「遺憾表明」
「生命倫理会議 臓器移植法改定に関する緊急声明」記者会見臨席者
石塚正英(東京電機大学教授)
市野川容孝(東京大学大学院教授)
大庭 健(専修大学教授)
金森 修(東京大学大学院教授)
木原英逸(国士舘大学教授)
小松美彦(代表・東京海洋大学教授)
慎 蒼健(東京理科大学准教授)
高草木光一(慶應義塾大学経済学部教授)
田中智彦(東京医科歯科大学准教授)
塚原東吾(神戸大学大学院教授)
爪田一壽(武蔵野大学専任講師)
土井健司(関西学院大学教授)
記
私たち生命倫理の教育・研究に係わる12名の大学教員は、去る5月12日に厚生労働省記者クラブにおいて、「生命倫理会議 臓器移植法改定に関する緊急声明」(連名者68名)をもとに記者会見を行い、多くのメディアの取材を受けました。そして、同日夕刻以降、その内容を報道していただいております。
もちろん、メディア各社が私たちの見解や行動のどの部分を切り出して、どのように構成して報道するかは、各社の裁量と良識に委ねられていることと考えます。しかしながら、標記の「朝日新聞」記事「移植法改正反対の声明」は、記者会見上での朝日記者との質疑応答に関して、応答(東京海洋大学教授・小松美彦)の大前提と文脈を捨象し、主旨とは全く異なることを報じた、と言わざるをえません。しかも、質問に対して明確に否定したことを、逆に肯定したように明記しています。
私たち12名の臨席者は、この事態が記者会見に臨席しなかった56名の連名者に対してはもとより、広く読者・国民に対しても誤解を招くことを憂慮し、責務上ここに遺憾の意を表明いたします。念のために申せば、この遺憾表明は、私たち自らが記者会見の始終を収録したビデオとICレコーダーとを十二分に確認した上で、発するものです(本文書(4)に朝日記者とのやりとりのテープ起こしを掲載。また、「「朝日新聞」記事に対する「遺憾表明」 資料(映像と音声)」で、その映像と音声のいずれも視聴・聴取可能)。
なお、本表明はあくまでも遺憾表明であり、朝日新聞社ならびに取材・執筆記者に対する抗議声明や記事訂正要求ではないことを申し添えておきます。
(1)当該記事全文:「朝日新聞」(09年5月13日朝刊、東京本社13版、25面)
■移植法改正反対の声明
国会で審議中の臓器移植法の改正に反対する生命倫理学者68人が12日、「人の生死の問題を多数決で決めるべきでない」との声明を発表した。衆参両院の厚生労働委員会に声明文を届ける。「脳死は人の死だと科学的に立証されていない」と主張している。
法改正論議の背景に、日本人などが外国で移植を受けることで現地患者の移植の機会が奪われるという国際的な批判がある。代表者の小松美彦・東京海洋大教授は「(臓器提供の)義務を果たしていないから、(外国で移植を受ける)権利もない、とはすべきでない」と述べ、日本人の国外での移植を容認する立場を示した。
(2)私たちが遺憾に思う点
上記「朝日新聞」記事は、その第2段落2行目以下で、「代表者の小松美彦・東京海洋大教授は『(臓器提供の)義務を果たしていないから、(外国で移植を受ける)権利もない、とはすべきでない』と述べ、日本人の国外での移植を容認する立場を示した」と断定的に結論している。だが、小松は記者会見の席上にあって、「日本人の国外での移植を容認する立場を示し」てなどいない。
また、同文章の前半部分、すなわち「代表者の小松美彦・東京海洋大教授は『(臓器提供の)義務を果たしていないから、(外国で移植を受ける)権利もない、とはすべきでない』と述べ」という部分が、後半の結論部分、「日本人の国外での移植を容認する立場を示した」とされることの論拠としてつなげられている。しかし、前者は後に述べるような脳死・臓器移植に関する仮定を大前提としており、しかも、「声明文」も応答者の小松もその仮定を否定ないしは批判している。
したがって、仮定に基づく以上そもそも根拠になるはずがないことを根拠として記し、述べなかったことを述べたかのように結論した「朝日新聞」記事の当該部分は、明らかに事実とは異なり、まったくもって遺憾である。
(3)その実証
ⅰ)何よりもまず朝日新聞記者(1名)の最終的な質問、すなわち、「最後に一言だけご確認ですが、日本人の患者さんが外国に行って移植を受けるということについて、そして実際向こうの方が来ていただきたくないと、言ってらっしゃるゆえん、現実も事実あります。なかでも行くことという事態については、それは向こうの国は受け入れるべきだし、日本人は行くことについては問題はないとお考えであるということでよろしいでしょうか」に対して、小松はすぐさま、「いえ、そういうことは、申しているつもりはありません」と、明確に否定している。つまり、朝日記者の最後の確認なるものを、小松は否定しているのである。
ⅱ)しかも、続けて小松は、「今言った事柄というのを、どれだけ考えて検討しているのか、ということを問うているわけです」とまとめ、渡航移植の是非を述べているのではなく、渡航移植をめぐって朝日記者に対して述べた種々の検討すべき点も、臓器移植法改定の議論の俎上に政府・国会などは乗せるべきと主張していることを確認して、応答を終えている。
ⅲ)まず以上をもって、なぜ小松が、「日本人の国外での移植を容認する立場を示した」ことになるのか。
ⅳ)さらには、朝日記者の渡航移植をめぐる質問に対して、そもそも小松は応答の冒頭部分で、連名者の一致点が「声明文」の枠内にあること、したがって、「声明文」には言及のない渡航移植については、応答が個人見解になることを確認した上で、次のように明言している。「私、小松個人は、脳死・臓器移植に関してかなり批判的です。ただし、もし脳死・臓器移植が十全な医療であるとするならば」と。すなわち、それ以降の脳死・臓器移植をめぐる応答はすべて、脳死・臓器移植をあえて十全な医療とする仮定のもとに成り立っているにすぎない。しかも、私たちの一致点である「声明文」の第一条によれば、「脳死・臓器移植は、脳死者という他の患者からの臓器提供によってしか成立しないため、十全な医療とは言えない」。加えて再確認するなら、小松個人も、「脳死・臓器移植に関してかなり批判的」なのである。したがって、小松が「日本人の国外での移植を容認する立場を示した」ことになるはずがない。
ⅴ)加えて言うなら、小松個人は医療一般についてコスモポリタニズムを主張しているが、こと脳死・臓器移植のコスモポリタニズムについては、「もし脳死・臓器移植が十全な医療であるとするならば」という仮定の話にすぎない。
ⅵ)以上により、「朝日新聞」記事の当該部分は、仮定の話という大前提と文脈を捨象して、元来は根拠になるはずがないことを根拠として記し、述べなかったことを述べたかのように結論している。
(4)朝日新聞記者との質疑応答のテープ起こし
(「エー」「その」「あの」「まあ」などの不要発声部分は削除。他は一切訂正なし。ただし、下線部分は聞き取り不鮮明。確認を要する場合は、前掲「「朝日新聞」記事に対する「遺憾表明」 資料(映像と音声)」を御参照下さい)
記者:朝日新聞の○○と申します。てことは、みなさんこれ、ちょっと先程のNHKの方とちょっと被っちゃうんですけれど、要するに臓器移植そのものに反対というような意見ではないということでよろしいんでしょうか。
小松:脳死・臓器移植ということですか。
記:そうですね。
小:はい。
記:なるほどね。
小:はい。
記:わかりました。その事実として、質問なんですけれど、今回の法改正論議っていうのは、そもそもの出発点っていうのが、先ほど大庭先生でしたっけね(注:実際は大庭ではなく金森の発言)、ご指摘もありましたように、外圧と。外圧という風に言うと言いやすいんですけれど、要するに日本で移植を受けられない方が外国に行って移植を受けていると。そのことに対して、日本から来られたら来んといてくれと、日本人を当て名指し、日本人を名指しした話じゃないんですけれど、去年の移植学会の決議などによってですね、外国に外国人が来て現地の患者の機会を奪わないでくれというような、その旨の宣言がなされて、その筋にのっているわけですよね。
で、そこでちょっとお伺いするんですけれど、皆さんはですね、日本人がですね、国外に行って移植をうける。このことについてですね、倫理的にはどういう風に解釈していらっしゃるんでしょうか。それは要するに許されるべきことなんでしょうか。それとも、やめといた方がいいようなことなんでしょうか。
小:我々の意思一致点は、この紙面(注:声明文)で成り立っているために、個人的な見解になりますけれどもよろしいでしょうか。小松の。
記:はい、お願いします。
小:まず、外国に日本人が行って移植をすることが許されるか、ということ。個人的にはですね、私、小松個人は、脳死・臓器移植に関してかなり批判的です。ただし、もし脳死・臓器移植が十全な医療であるとするならば、それは、スポ-ツと医療というものは、国境線てものを取っ払うべきだと思っております。つまり、最も移植を必要とする人に対して、何々人かという国民性を問わず、実施すべきだと思います。ということは逆に、日本にあってもですね、もし外国から日本に臓器移植を求めてくる人々がいたとするならば、それは、日本人ではないからといって拒絶するべきではない。一言で言うと、医療はコスモポリタニズムであるべきだ、という風に思います。
それからもう1点。先程おっしゃった国際移植学会のイスタンブール宣言だと思いますが、あれを読むと、2つのことを考えなければならないと思います。一つはですね、移植ツーリズムってことが書かれていますけども、あの時に、出だしからかなりの部分は、おそらく第三世界に対する移植をしに行くこと。ところがですね、後半になると、一ヶ所だけですね、移植ツーリズムの定義で、括弧してですね、ある国の臓器移植の制限を、数を減らさないようなことっていうように急に一言だけ入っているんですね。つまり、先進資本主義国、移植大国に行く渡航移植とですね、第三世界に行く渡航移植を一緒にしていることがまず問題ではないか。特に前者の第三世界のことというと、これは臓器を売買せざるをえないような経済的な状況、なぜそこでそういう経済的な状況、貧困が生まれているのか、ってことを大局的に考えなければならないという風に、私個人は思っております。
記:実際私、取材の中でですね、最近まで日本人はわりと受け入れてた、そして今後なくなると言われている、ドイツの移植財団の理事なんかにも取材したんですけど、要するに、非定住の外人に対してですね、移植を止めようやないかと、要するにそれはおっしゃる通りで、臓器移植先進諸国、先進エリアのような欧米でもですね、臓器不足はありまして、待ってる間に亡くなっている方ってのは当然大勢いらっしゃるわけですよね。で、論理的に考えれば要するに日本人が一人行くことによって向こうで待ってる間に亡くなる方が一人増えるわけですよ。というわけで要するに外人さんを受け入れるのは止めようというような議論は出ております。だからそういう意味では、今小松先生が最初におっしゃ、最後におっしゃられたことは私は当たらないんじゃないかと思っているんですが、少なくとも臓器移植っていうのは、いくつかの国が協力して行う場合もありますけれど、同じシステムの中で臓器を提供することによって、そこのエリアの方が受けることができるってのが、今のところ基本的なシステムになっております。で、そこに行って、一人、移植、要するにそういうシステムの外にいる人、そのシステムを維持することには何も協力してない人というのが、病気になったからといって、そこに行って移植を受けるってことについて私はどうかと思っているんですけど、先生のご意見を伺いたいですけどどうでしょうか。
小:はい。それは先程申し上げたことの繰り返しですけれども、国境線てことを医療は取り払うべきだ。それと同じように、ユーロ・トランスプラントとか何々トランスプラントとかありますね。その枠組みということも、果たして本当に妥当なものかどうかってことは、私は疑問があります。それは、自分が利益を受けるだけではなくて、自分が提供の側にも回ると。で、義務を果たしてないから権利を獲得することができないということが、果たして医療という世界に経済的な問題と同じように通用するのかどうかってことは、我々は考えなければならないと思っております。
記:てことは、最後に一言だけご確認ですが、日本人の患者さんが外国に行って移植を受けるということについて、そして実際向こうの方が来ていただきたくないと、言ってらっしゃるゆえん、現実も事実あります。なかでも行くことという事態については、それは向こうの国は受け入れるべきだし、日本人は行くことについては問題はないとお考えであるということでよろしいでしょうか。
小:いえ、そういうことは、申しているつもりはありません。まず、私個人の見解として申していることであって、
記:もちろんそうです。先生の見解として、
小:その上でですね、今言った事柄というのを、どれだけ考えて検討しているのか、ということを問うているわけです。
記:ありがとうございます。
以上